娘が療育に通うことになったきっかけ⑧の続きになります。
前回からあっという間に月日が過ぎ、もう何ヶ月空いたのか数えることもできません(・・;)
まだ書いてたのか〜と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、このシリーズについてはマイペース更新で続けていく所存ですので、どうか気長にお付き合いいただければと思います。
娘は現在小学1年生の二学期を過ごしています。おかげ様で娘にとって小学校生活は楽しいようで、休むことなく通っています。娘本人も「小学校好き」と幾度となく口にします。
これは、周囲の方達の温かいサポートのおかげです。
1年前はどうなることかと不安ばかり抱えていた小学校生活ですが、たくさんのご協力のおかげで娘が元気に学校に通っていることに感謝しています。
1日の会話は全て二語文
2歳を迎えたのに、二語文を話さない娘に焦ったバタコ。
それから毎日、朝、娘がバナナを食べている時は「バナナ、おいしい?」と聞き、散歩中に、犬がいたら「わんわん、いたね」と話かけ、おやつのリンゴを食べている時は、「リンゴは赤いね」などの二語文を娘に話しかけ続けました。
この頃の生活ですが、夫は朝から会社に行き、帰宅は終電か、早くても22時過ぎでした。
娘が寝ている時間に帰宅するので、夫が娘と向き合うのは平日の朝にちょっと顔を見るくらいと、あとは休日くらいでした。両家の実家は遠く、普段の往来はありません。
当然ですが、バタコは朝娘が起きてから夜寝るまでずっと一緒でした。
その為、「日中、娘に声かけできるのは自分だけなのだ」と強い意気込みがあったのです。それゆえ、平日の娘への言葉がけは全て二語文にするように心がけていました。
長文は話さないようにして、かつ単語(一語文)ではなく、二語文に拘って、話しかけ続けました。
今考えれば、娘と会話はできておらず、一方的にバタコが二語文の声かけを続けるだけの日々でした。
二語文のみの声がけを1ヶ月続けた結果は?
娘にテープレコーダーのように1ヶ月、二語文を話かけ続けた結果、娘は2歳1ヶ月の時に「バナナおいしい?」と言ったのです。
まとめ
お気づきの方もいらっしゃると思いますが、娘が話したのは二語文ではありません。
次回に続きます。