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娘が療育に通うことになったきっかけ12

娘が療育に通うことになったきっかけ11の続きになります。

目次

娘が話したのは本当に2語文?

バタコは、娘の発する2語文にばくぜんとしたモヤモヤ感を抱いていました。娘は本当に2語文話せるようになったのでしょうか

娘は「バナナおいしい」「パンおいしい」「わんわんいた」というようになりました。

けれど、それは全てバタコが娘に毎日声かけしてきた言葉と一語一句同じでした。

当時は、なんだかスッキリしない感じを抱いていましたが、今思えば、娘が話していたのは2語文ではなかったと感じています。

娘は、毎日話かけられるバタコの「パンおいしい「わんわんいた」を真似していただけだったのです。

毎日、毎日同じ言葉を聞き、パンを食べれば「パンおいしい」、バナナを食べれば「バナナおいしい」というパターンを身につけたのでした。

それは一般的にいう2語文とはいえません。

けれど、その頃のバタコは、娘が2語文を話せないという事実を認めたくはなかった。

そして、、、

今まで悩み、ネットで検索したり、言葉の練習をしたり、そんな日々に疲れてしまったのでした。

第二子誕生、そして娘から自発的な二語文が出始める

そして、娘の2語文や言葉の理解の遅さのことは気にかかりつつも、

バタコは第二子を出産します。

2人目ということもあり、陣痛もはやく進み、かなりのスピード出産で生まれました。

母子ともに健康で、夫も1ヶ月の育休を取ってくれたので安心した産後の生活を送っていました。

と、同時に娘から自然な2語文が自発的にでるようになりました。

それは娘が2歳6ヶ月の時でした。

毎日2語文を話しかけて1ヶ月後、2語文と思しき言葉を発するも、それはバタコの模倣に過ぎませんでした。

結局、娘が自主的に2語文を話したのは2歳から半年後のことだったのです。

以前の記事に「半年」という言葉を書いたのを覚えていますでしょうか?

1歳半健診の指差しの時のことです。

この時も、バタコが指差しの練習をして、できるようになったものの、それはパターンとして身につけたに過ぎなかったのです。

結局、この指さしも、自主的にしたのは、1歳半から半年後のことでした。

娘の言語に関する発達は、平均より半年程遅れていたのです。

けれど、このことを気づいたのは、それよりもっと先のことでした。

下の子に対して娘の反応は?

当時は、生まれたばかりの第二子のお世話が中心の毎日でした。

バタコは、下の子が生まれたら、娘の赤ちゃんがえりも始まっちゃうかなと心配でしたが、

娘は親の心配をよそに、想像以上に弟が生まれたことを喜んでくれました。

このことについては、かなり意外な出来事でしたが、娘は、第二子の息子が生まれた直後からすぐに可愛がってくれました。

そして、いつもなでなでしたり、名前を呼びかけたりしてくれたのです。

ベビーベッドにいる生後3週間くらいの息子にむかって「○○くーん(息子の名前)」と呼びかけながら息子に触ろうと手をのばしたところ、

起きている息子に、「触るな」とばかりにペシッと手をはたかれてしまって、娘は残念そうな表情を見せる場面もありました。

息子なりに姉の行動に何か危機感を察知したのかもしれません笑

これには思わず夫と共に笑ってしまいました。

そして、「良かった。娘も2語文しゃべるようになったし。2人育児も大丈夫そう」と胸を撫で下ろしました。

全く大丈夫ではなかったのです。

次回に続きます。

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