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我が子を虐待してしまうかもしれないという恐怖①(母から体罰を受けた記憶)

以前の記事で、わたなべぽんさんの、

ズボラ習慣をリセットしたらやる気な自分が戻ってきました』

ついて書きました。

そのわたなべぽんさんですが、

幼少期に母親から暴力や暴言を受けて育ったそうなのですが、実はバタコ自身もそうなんです。

ぽんさんは、幼少期に受けた体罰や裸にされて外に放り出されたエピソードなどを正直にこの本の中で描いています。

それは、子どもの頃の自分と向き合うことで、そのことが自分自身を救うというエピソードでした。

バタコも母親から体罰を受けて育ち、それ以外にもいろいろと嫌なことを言われたり、されたりして、正直親とのいい思い出はありません。

けれど、大人になり、そのことはすっかり忘れていました。

しかし、結婚し子どもを出産して子育てをしていく中で、その心の奥の奥にしまいこんで忘れていたはずの記憶がじわじわとよみがえってきたのです。

その時の思い出が、ものすごくバタコを苦しめ、そしてそれが娘をも苦しませてしまうかもしれない事態に発展してしまいました。

「自分がされて嫌だったことを娘にしてしまうかもしれない」という気持ちになるようになってしまいました。

赤ちゃん時代は育てやすかった娘ですが、次第に育てにくい部分やコミニュケーションをとるのがが難しい時期になりました。

バタコは、いつしか娘に対してちょっとしたことで怒鳴りちらすようになり、

「このままではいつか娘に手を上げてヒートアップして虐待してしまうかもしれない」

という恐怖心にさいなまれるようになりました。

今回は、バタコの幼少期の体罰、そしてそのことにより、

娘を虐待してしまうかもしれないという恐怖に悩んだことなど、詳しく書いていきたいと思います。

長文になると思いますので、2回にわけて記事を書きます。

子どもへの体罰、虐待という重い内容なので、苦手な方はスルーしてくださいね。

目次

我が子を虐待するかもしれないという恐怖

子育てをする中で、我が子を虐待してしまうのではないかという危機感におそわれたことがある方は決してゼロではないと思うのです。

以前にも記事に書いたことがありますが、

バタコは2人目が生まれた後、上の娘とのことでかなりイライラして育児ストレスがたまりにたまっていた時期がありました。

もちろん、今でも育児でイライラすることはあるのですが、あの時期はイライラのピークを通りこして、毎日何回もイライラの火山が噴火してしまっていました。

何度も噴火するので、バタコ自身も冗談抜きで燃え尽きて焦げてしまっていたように思います。

その時に思ったことが、

「このままではいつか娘に手をあげ、それがエスカレートして虐待してしまうのではないだろうか」

という恐怖感でした。

自分はいつか必ず子どもを虐待することになるのではないかという確信すらあったくらいです。

それには理由があります。

バタコ自身も、幼い時期に母親から躾という名の体罰、そして言葉の暴力をうけていました。

このことは、ブログには書かないつもりでいました。

わたなべぽんさんのコミックエッセイが自分を見つめ直すきっかけになった

先日記事を書いた、わたなべぽんさんのコミックエッセイを読んだことでバタコの心境に大きな変化がありました。

『自己肯定感を上げるためにやってみたこと 自分を好きになりたい』

というコミックエッセイを読んでみた時のことです。

わたなべぽんさんも、ご自身の母から暴力を受けていたことが描かれていました。

それはとても勇気のいることだったと思います。

それでも、コミックエッセイという形でお母さまとのことを描くことによって、

わたなべぽんさんが幼い頃の自分を救ったのだということが分かりました。

このわたなべぽんさんの「自分を好きになりたい」を読んで、おそらく実の親から暴力を受けた、虐待を受けたという人たちも同じ思いではないでしょうか。

バタコにとっても親から体罰や暴言を受けて育てられたことは、本当につらい過去ですし、どうしてもそれを消化できずにいました。

ちなみに、バタコもわたなべぽんさんと同じように忘れ物が多かったり、整理整頓ができないという子どもでした。(それは今でもですが)

その忘れ物が多かったりする点について、

常に叱られていたというよりは母親にとってそれを第三者に指摘されたり、

恥をかかされたりしたときにものすごく怒られていました。

例えばその印象的なエピソードのひとつとして、小学2年生の時の父母参観でのことがあります。

午前中は外で親子でスポーツをして、午後は親の前で音楽発表会をするというものでした。

発表会のための白いブラウスをもってくるように先生に言われていたにも関わらず、バタコはそれを当日忘れてしまいました。

バタコは他のみんなが白いブラウスを着ている中で、一人だけ私服の黒いセーターを着て音楽発表会をしました。

そして、家に帰ったら母親がまさに鬼の形相をしていて

「どうしてブラウス忘れたの!」

とものすごく怒られました。

小学2年生でしたが、子ども心にも、

バタコがブラウスを忘れて一人だけ黒いセーターを着ていたことについて、母親が他の親たちの中で恥をかかされたことに対して怒っているのはわかりました。

そして、母親の怒りは説教とともにどんどんヒートアップして、別室に連れていかれました。

1.2時間ぐらいの間、往復ビンタや体をなぐられるなどの行為が続きました。

もちろん、その時間は耐えるしかありませんでした。

母親から暴力を受けたのはもちろんそれが最初ではなく、バタコが幼稚園にあがったくらいからでした。

そのきっかけは、今思えば母親がフルタイムではたらき始めた頃だったと思います。

少なくとも、母親が専業主婦時代に体罰を受けたことはなかったです。

母も仕事でイライラすることが多くあったのだろうと思います。

そのストレスは、バタコが忘れものをしたり、約束事を守らなかったりした時などに余計にヒートアップさせてしまったようで、バタコはとにかく殴られ続けました。

最初に殴られた記憶としては、

幼稚園の時に、古い昔の家に住んでいたのですが、柱がむきだしでありました。

そこに着物で使う腰ひもで体をくくりつけられて、1時間ほど往復ビンタをされたり、体を蹴られたりしました。

次にに怒られたのはやはり幼稚園の頃で、理由も覚えていないのですが、きっとバタコが何か母親に対して恥をかかせるようなことをしたのだと思います。

その時も、着物を着るときに使う腰ひもという長い紐で手足を縛られた状態で、殴られ続けました。

もともとバタコの母親は仕事を始めてからイライラが激しくなりました。

家にパートを終えて帰ってくるなり、体罰はなくても、日常的に私や兄、姉に怒鳴りちらすようになりました。

子どもの頃はヒステリックに怒鳴り散らしている母親のイメージしかありませんし、母親を慕っておいかけた記憶は一切ありません。

バタコにとって、母親はちょっとしたことでに変わる人だったので、とにかく母がに変わらないように、どちらかというと腫れ物にさわるように接していました。

何がきっかけでヒステリックが始まるか予想がつかないので、毎日母の帰宅時間になるとビクビクしながら過ごしていた記憶があります。

 学校の個別面談のたびに母から体罰を受けるようになる

バタコの心に深く傷が残る大きな出来事は、小学四年生の頃の話です。

学校で、保護者と教師の個別面談があり、

バタコの母親が学校に行き担任の先生と面談してバタコの学校での話を先生が母に話しました。

そこで、バタコの忘れ物がひどいこと、

整理整頓ができないこと、なくしものが多いことについて、かなり教師から指摘されたようです。

きっとおそらく教師から嫌味も言われたのではないかと思います。

バタコはその時家にいたのですが、母親がかえってくるなり、正座させられて体罰を受けました。

「なんでできないんだ!同じクラスの〇〇ちゃんはちゃんとできているのに!」

「あんたみたいな忘れもの多くて整理整頓ができない子とは〇〇ちゃんは遊びたくないって言ってるんだってよ!!」

と母からクラスメートの名前を出して言われました。そして、

「あんたみたいなだらしがない子とは誰も友達になんてなってくれないよ」

と繰り返し母親に叩かれながら言われました。

バタコは小学四年生でした。

子どもながらにも母親がわざと娘を傷つける言葉を選択していることはうっすらと気づいていました。

だらしないから友達ができないと言われたことに傷ついたのではありません。

母親がわざとバタコを傷つけようとしているその気持ちがいやがおうにも伝わってきたので、そのことがとても悲しかった。

この時から個別面談があると憂鬱になりました。

小学五年生の時もやはり、忘れものが多い、クラブ活動にきちんと参加しない等の様子を担任の先生から注意されたようで、

やはり個別面談から帰ってくるなり、

母親の怒りは頂点に達していて、バタコはまたもや1時間近く体罰を受けました。

バタコの母親は、人一倍見栄っ張りな性格です。

自分の子どもが教師や他の親から低い評価を受けたことで、恥をかかされたことが母親として許せなかったのですね。

そのことでストレスが瞬間的にたまり、その怒りをバタコ自身にぶつけることでイライラを発散していたんだろうなと思います。

もちろん、母親の当時の本音はわかりませんし、それどころか覚えていないでしょうからあくまでバタコの勝手な想像です。

わたなべぽんさんも、

「自分を好きになりたい」の中で描かれていましたが、忘れものが多かったことで、一度裸にされて外に出されたことがあるそうです。

バタコの母親は、わたなべぽんさんとは違うタイプの体罰をする母でした。

自分が子どもに暴力をふるっていることを決して外には聞こえないように徹底していました。

部屋をしめきり、家中の雨戸をすべてしめて、バタコの泣き声が外に聞こえないように体罰をしていたのです。

上にも書いたように母親は見栄っ張りな性格でしたから、バタコに体罰をしているという事実を近所の人には知られなくなかったのだと思います。

忘れることのできない忌まわしい記憶

一番覚えている忌まわしい記憶は、小学四年生の時に冬休みのことです。

その日、冬休みに宿題のワークをすべて終わらせていなかったことで、パートから帰ってきた母親にものすごく怒られました。

本当は、宿題のワークは途中までやってあったのですが、それ以降は学校で習っていなかったところだったので手をつけていなかったのです。

けれど、母は、とにかくワークをすべてやっていないバタコのことを鬼の形相で怒りはじめました。

怒っているうちに母親もきっと仕事のストレスか何かで嫌な思いをしていたのかわかりませんが、とにかく母の怒りどんどんはヒートアップしていきました。

その日は

「もうおまえなんて服なんて着る価値もない!裸になれ!」

と無理やり服を脱がされまる裸にされた状態で体中をビシバシ叩かれました。

そして、それは当時中学二年生だった兄がご飯を食べている前でおこなわれました。

裸にされてたたかれたことよりも、それを異性である中学生の兄に見られたのが痛みよりも恥ずかしさで辛かったです。

兄は裸にされて殴られ続けるバタコのことををご飯を食べながら黙ってみていました。

その時、兄がどんな気持ちだったのかは今も聞いたこともないですし、今後も聞くことはないと思います。

兄とは大人になってからはほとんど話す機会はないし、今は何年も会っていません。

今後も会う機会はないですし、会うつもりもありません。

ちなみに、父親はどうしていたかというと、半単身赴任のような形で平日は家に帰ってこなくて週末だけ家に帰るという勤務形態でした。

その為、バタコが母親からされていたことは何ひとつ知りません。

母親は父親がいる時はバタコに虐待をすることはなかったからです。

バタコが母親に体罰を受けていたことは今も知らずにいるのでしょう。もともと、父親も子どもに無関心なタイプでした。

そんな父親が子どもの様子や変化などに気づくはずがないのは当然でした。

なお、この話には続きがあるのですが、

結局宿題のワークは学校で習っていない部分はやらなくてもよかったのですが、担任の先生もそのことは冬休み前に説明はなかったのです。

けれど、バタコ以外にもクラスで宿題のワークをすべてやってきた子がいて、担任の先生に

「ここ習ってないからやらなくてよかったのにどうしてやってきたの?」

と注意のようなものを受けていました。

バタコは家に帰って、

「この前お母さんに宿題を全部やらなくてすごく怒られたけど、あの宿題のワーク全部やらなくてよかったんだよ」

と担任の先生が言っていたことを話しました。

母は思いっきり気まずそうな顔をしただけで、バタコを裸にして体罰をしたことをわびることは決してありませんでした

その後、その話題に触れることもなかったです。

たぶんバツが悪かったのでしょう。

この、小学四年生の時の裸にされ兄の前で体罰を受けたことはとても深い傷としていまだに残っています。

おそらく、一生忘れられることはできないでしょう。

わたなべぽんさんのコミックエッセイがきっかけになった

今回、わたなべぽんさんのコミックエッセイ

『自己肯定感を上げるためにやってみたこと 自分を好きになりたい』

を読んで、バタコ自身も幼少期の体罰、母親との嫌な記憶について思いきってむきあうことにしました。

他にも母親とのエピソードはまだ書いていきたいことが多々あること、

そしてバタコが娘を虐待するかもしれないという恐怖感に悩んだことについてまだ書いていく予定です。

次回に続きます。

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